江川坦庵生誕200年記念
江川坦庵は1801年5月13日に出生し、35歳で伊豆・駿河・甲斐・相模・武蔵を支配する韮山代官に就きました。
本年が生誕200年あたり,韮山町各地の江川家と坦庵公ゆかりの史跡を訪れる観光客は、例年にもまして多く、賑わいをみせております。


重要文化財江川家住宅

特徴のある母屋は高さ12m余りの美しいカーブの大屋根を支える豪壮な架構で有名であり、土間からその構造を見ることが出来る。邸内の中央に建つ屋敷は鎌倉時代に建造されたもの。
1261年に数日間日蓮聖人をこの屋敷にお迎えし、供養をつくした.この時家屋の修築を行っており、聖人から『この旧家がなお繁栄するように』と自筆の棟札を贈られた。そのご利益によってこの家は700年以上にわたって無事に保たれてきたと伝えられる。1958年国の重要文化財に指定され、その際にそれまで茅葺きだった大屋根は現在の銅版葺きに変更された。1993年に付属する書院、仏間、蔵、門、、塀、神社、及び敷地が重要文化財に追加指定され、2001年4月より、屋敷内と蔵も見学可能になった。

江川家の沿革


江川家は清和源氏の流れをくみ、源満仲の次男宇野頼親を家祖とし、宇野姓を名乗っていた。6代親冶が保元の乱(1156年)に崇徳上皇側について参戦して敗れ、その孫親信が従者13人と共に落ち延びて伊豆のこの地に定住した。
この13人すべての子孫が、現在でも江川家周辺の金谷地区に居住している.親信の子冶信は、この地に流罪になっていた源頼朝の平家に対する挙兵山木判官平兼隆邸討ち入り(1180年)に応じて参戦している。その後鎌倉時代、室町時代と伊豆の豪族としての地位を固め、15世紀の中頃に、当時この地を流れていた狩野川の支流の名にちなんで、姓を江川と改めた。28代英長は徳川家康に仕え、徳川幕府が成立し伊豆が幕府
直轄地になるに及んで、代官としてこの地を統治することとなった。以後明治維新に至るまで、江戸時代の全期を通じて代々徳川幕府の代官を世襲して勤めた。
江川太郎左衛門英龍(坦庵)の業績

36代英龍(1801〜1855)が代官として活躍した幕末の時代は、欧米の列強がアジアの各地を次々と植民地化した時代であった。彼は蘭学を修め、渡辺崋山や高野長英等と交わり外国の社会事情や国際情勢を知り、日本の置かれた立場を深く憂慮した。

幕府に対する沿岸警備の建議

幕末の黒舟の侵略から日本を守るため大砲をそなえつけた所を砲台からとってお台場と呼ばれています。幕府は江戸の防備のため坦庵公の設計監督に従い、品川沖に島を作り台場とすることにし、内海台場とした。品川台場は11作る予定であったが、6島完成し今第3台場と第6台場が残されている。現在お台場公園として親しまれているのは、第3台場である。

農兵による近代的な兵制の建議と訓練 
西洋の砲術の研究と訓練
測量技術の研究と実施   
韮山の反射炉
銃砲鋳造のための溶鉱炉
パン(兵糧としての)最初の製造


戻る